古屋悟司

人気の花屋「ゲキハナ」を運営。1973年生まれ
2004年順調だった営業マンを辞め、
たった1ヶ月の研修ののち、花屋を開業。
いきなり閑古鳥が鳴くようになり、
背水の陣でネット販売に着手。
売上はうなぎ上りになったが、
数年後、決算書を見るとずっと赤字だった事に愕然とする。
その後、会計を学んだことをきっかけに、
倒産の危機を乗り越え、V字回復に成功。
以降、黒字を継続中。
現在はゲキハナの運営に加えて、
「furuyasatoshi.com」のサイト運営や
管理会計ソフトの販売を通じて、
小さな会社を中

新卒で入社してトップ取ったのに、何で会社は俺を評価しないんだ!とやさぐれて会社を辞めたお話。

大学を卒業して、地元のトヨタのディーラーに入ったんです。

もともと車は好きだったし、営業職は歩合がつくから稼げるって思ってんですよね。




右も左も分からないながらも、研修を終え、5月から車を売り始めました。

毎日毎日、自分の担当エリアを1件1件訪問。


2週間ほど地域を回っていると、「ホット」と呼ばれる、購入を検討している人に出会いました。

新人のビギナーズラックです。

僕自身は売る気満々なんだけど、お客さんからしてみたら、「こいつに買わされる!」とかは思わないわけです。

そして、もう一人、車の購入を検討している人に出会いました。合計2名。


日曜日に、営業所の所長と一緒に、購入を検討しているお客さん、2名のところへ訪問。

午前中と午後と、1日に合計2台が売れました。


華々しいデビューです。新人がいきなり車を2台売って来た。先輩たちからも「お前すげーな」とチヤホヤされ、僕は嬉しくてたまらなかった。


その月の給与は、基本給に数千円がプラスされた給与明細。

「え?150万円とか200万円する車を2台も売っているのにそんなものなの?」が正直な感想。

もっと売れば、もっと給料が増えるかもしれない!と思い、22歳の僕は突っ走りました。



2ヶ月が経ち、3ヶ月が経ち、1年が経ち。

毎月コンスタントに車を売り続け、入社1年目の新人賞をいただきました。

かなり天狗になってました(笑)


営業所の中には、僕なんかよりもバリバリ売る先輩が1人。

そして、全然仕事をしない先輩が2人。


入社2年目の基本給は5,000円アップ。

え?こんなものなの?


僕自身、仕事しない先輩よりも、売ってくる車の台数は多いのに、

仕事をしない先輩の方が、給与が高いと言うことに納得ができませんでした。


そして、僕はトヨタを辞めることにしました。


それから8年が経ち、花屋として独立。従業員を雇うまでになって、やっと給料が増えない理由がわかりました。


会社には、直接売り上げに貢献しない部署が沢山あります。

経理部、企画部、人事部あたりがそれかもしれません。

ただ、その人たちがいないと、仕事は回らない。特に新車の登録をする係の人が、登録してくれなければ、お客さんに納車することすらできないわけです。


1ヶ月に車を5台売ったとして、そこから出てくる粗利が500万円だとして、

その金額で、直接売り上げに貢献しない人たちの給与を賄うことはできません。


そもそも、会社は僕に給与を払いながら、1ヶ月間の研修をしてくれて、入社前にも1週間の研修を入れてくれています。パンフレットも刷ってくれているし、商談ルームも、名刺も用意してくれるわけです。そして、デモができる実車があり、何より車を仕入れてくれているわけです。


そこにかかる費用が何千万、何億と言う投資を先にしてくれているからこそ、僕は「トヨタです!」とドヤ顔で、営業に勤しむことができるわけです。


トヨタの看板で仕事ができること自体が、世の中の信用をすでに買えている訳で、そんな恵まれた状況で、車を売るたびに、数千円とはいえ報奨金がつく。

そして、よー頑張ったね!と、表彰式を開いてくれる。


そこまで優遇されていたことにも気づかず、会計的に考えても、毎月億単位の経費が会社にはあります。それをわずか500万円の粗利を出し方かといって、「もっと金よこせ」と言わんばかり、心の中で思っていたのは、ムチムチ。あ、いや、無知も甚だしいと言う話ですよね。


何でもかんでも、自分の財布の中身や、自分の価値観の中での金額の大小で、「評価されてる」とか「評価されてない」とか、考えちゃいけんなーと、独立して、自分が給与を払う苦労や、経費を払う苦労、借入の返済の苦労を感じて、やっとわかりました。ほんとごめんなさい。と言うお話です。


と言うことで、僕の今の車はトヨタです。(笑)








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